70歳からの闘病記

53歳から始まった成人喘息との闘いの記録

うつ

僕は「うつ」になったことがある。

2006年になった時には「うつ」かどうかはわからなかった。

いまから思えば、そうだったのだろう・・・。

突然にご飯が食べられない事態になった。

外食時に食事が運ばれてきたら、突然に食欲が止まった。

それが3月。

2月には2週間もアメリカへ旅行。

その最中にミュージカルを観るときに、突然に喉がいがらっぽくなった。

このままでは息ができなくなると思った。

1年ほど前から夜中の呼吸困難に悩まされていた。

抗ヒスタミン剤でなんとかなった。

この薬も即効性はないだろうが、なんとかなった。

精神的なものが占めていたのだろう。

10月にはもう食事もできなくなった。

見ると食べられないので、コンビニでお握りを買ってきては食べていた。

仕事関係でなったような気がする。

職場を改装して昼休みにはゆっくりできるようにした。

徐々に回復した。

だが、2010年にまたもや再発。

この時も仕事だった。

この2回の「うつ」で一番苦しかったこと・・・。

それは、世界中で一番近くにいる妻が理解してくれなかったこと・・・。

「なんで食べないの?」

食べないのではなくて、食べられないことが分かってもらえない。

自死する人に共通することがある。

「うつ」だとは皆が知らない。

突然に死。

でも本人にすれば「突然」ではない。

順風満帆に人生を送っているはずの人が何故?

他人には順風満帆に見えるからこそ辛いのだろう。

僕のうつは筋トレでなんとか治った。

今でも筋トレは続けている。

 

 

息苦しさ

たびたび襲ってくる「息苦しさ」。

夜もなんとなく、気管支の閉塞感。

横向き寝で1時間ほどで息苦しくて目が覚める。

喉をガーガーするうちに少し痰が出始める。

鼻は詰まっていない。

うつ伏せ寝でなんとか眠る。

朝は喉がヒリヒリ。

朝もなんとなく喉が怪しい。

咳き込んで痰が出る。

この息苦しさと喉の違和感は何?

いつまでたっても、この感覚と違和感は治まらない。

逆流性食道炎

副鼻腔炎

SIBO?

結論が出ないまま6年が経つ。

この間は喘息の悪化もなく、メプチンも一度も使っていない。

あー、誰か同じ症状の人はいないもんだろうか?

 

鼻血

若い頃の思い出はいつも鼻血で始まる。

嫌な思い出。

中学生になっても治らなかった。

三省堂の英和辞典の1ページに鼻血の一滴が滲んでいたのを覚えている。

高校に入学して野球をやりてたくて野球部に入った。

初めての練習が終わってトイレでオシッコ。

鼻から水が垂れてきた。

手の甲で拭うと、それは血だった。

途端に弱気になって、翌日、退部を申しで出た。

先輩には鼻血のことは言わなかった。

言ってもわかってくれないという諦めだったのだろう。

「なんで、やめるんだ?」

答えることができない自分がいた。

それ以来、卒業までの3年間は完全な「帰宅部」だった。

公立校だったので野球部は弱かったが一度だけ夏の甲子園に出た。

観戦にいった親友は60歳のときに癌で他界した。

高校3年生のとき、朝から鼻血が出たことがあった。

学校を休むことはあまりなかったが、その日に限って学校を休んだ。

夕方のNHKの地方ニュースを観ていて驚いた。

高校が全共闘に封鎖されて、大変なことになっていた。

僕は何にも知らないでニュースで驚いた。

その時の闘争委員長が上記の親友。

何故、あの日に鼻血が出たのか?

その後は成人してからは鼻血は出なくなった。

鼻血はビタミンK2で予防できるらしい。

納豆がいいのだが、大阪では納豆は食べない。

地方の大学に入学して下宿での朝食は納豆がでた。

朝から食べないのは力が出ない。

マヨネーズをかけて食べることもあったが・・・。

大阪では納豆といえば「甘納豆」。

今でもあまり納豆は好きではない。

鼻血の思い出。

 

冠動脈狭窄

2019年の5月に心臓の専門病院で冠動脈の狭窄を指摘された。

即、ステント手術の準備に入った。

患者に有無を言わさず進められることに反発。

それ以来、この心臓専門病院には行っていない。

冠動脈にステントという金属を入れて動脈を広げる手術。

短時間で終わる手術で安全。

しかし、手術の同意書にサインを求められて気が付いた。

「やめます」

ステントを入れた人を見ていると、ほとんどが再発している。

2本も3本も入れている人もいるくらいだ。

最近はステントにマグネシウムを塗ってあるらしい。

これが徐々に溶けてマグネシウムが血管に出る。

ならば、ステントなしでマグネシウムを摂ることでいいのではないか?

それで始めたのがマグネシウムサプリ。

一日に370mgは必要だと言われる。

1錠に100mgだから、一日に4錠。

アメリカ製だからバカでかい錠剤。

でも、これしかない。

そこで、僕の夜中と朝の痰の絡みを再考。

横になると苦しくなる。

仰向け寝で咳が出る。

食後にお腹が膨れる。

痰を除けば、僕の症状にそっくりだ・・・。

喘息だの副鼻腔炎だの逆流性食道炎だの・・・。

マグネシウムで僕のこの痰と咳が治れば、冠動脈狭窄は本命かもしれない。

タバコと肺気腫

僕は20歳から45歳までタバコを吸っていた。

喘息を患ったのは53歳で初めて夜中の呼吸困難を経験した。

それ以降は喘息が完治しないままである。

高校の同級生も喫煙者で禁煙後は肺気腫で苦しんでいる。

宇津井健さんも肺気腫で亡くなられた。

50歳で禁煙して30年後に肺気腫で亡くなられた。

禁煙後に何年も経ってからに肺気腫は怖い。

僕の喘息が治らないのも根底には肺気腫がありそうだ。

禁煙してからもう25年は経っている。

肺気腫とは肺胞が固く壊れてしまう病気。

吸っても吸っても肺には空気が入っていかない。

苦しい病気だ。

宇津井さんは筋トレが趣味だったらしい。

でも、有酸素運動は嫌っていたという。

筋トレで呼吸筋が鍛えられて呼吸が少しは楽になっていたのだろうか。

肺の障害は不可逆的だというから完治は望めない。

恐ろしい病気だ。

ヘビースモーカーだった市川崑監督は90歳まで生きた。

彼はタバコを切らさず、前歯でタバコを挟んでいたという。

食事もストイックで、牛肉と卵しか食べなかったらしい。

MEC食の老舗だ。

肺気腫は禁煙後数年経っても悪化する。

恐ろしい・・・。

 

誤嚥

老人の死因には心血管や脳卒中に次いで肺炎がある。

肺炎は抗生物質で治る病気のはず・・・。

高齢者には誤嚥性肺炎という厄介なことが起きる。

肺炎は発熱と倦怠感で早く診断がつくし、自覚症状もある。

誤嚥性肺炎は発熱もなく、ある日急に呼吸が苦しくなる。

食べ物や唾液を誤嚥するから、異物が気管から肺へ入る。

成人喘息を患っている僕は気管支と喉に違和感がある。

喉と気管との連携プレーができないと誤嚥する。

2017年の秋に耳鼻咽喉科で喉を診てもらったことがある。

声帯が痩せていると言われた。

高齢とともに声帯委縮ということが起きるらしい。

「痩せている」と「委縮」は違うが・・・。

声帯も筋肉でできている。

ならば、鍛えることも可能だ。

声帯の筋肉を鍛えて声帯の隙間をなくせば誤嚥は起きない。

理屈ではそうだ。

声帯の筋トレは「カラオケ」と「しゃべる」ことしかない。

簡単のようで、しゃべるのが苦手の僕には苦痛だ。

車を運転中に大声で歌うしかないだろう。

 

大気汚染

僕が子供の頃はまだ車社会ではなかった。

運転免許を取得したときもまだモクモクと煙を吐いて走る車があった。

その後は排気マフラーに触媒を入れて排気ガスをきれいにし始めた。

触媒で排気ガスはキレイになったと勘違いしている。

排気ガスは出続けている。

目に見えないほどの細かい粒子になって空気中を漂う。

ナノサイズの微粒子は肺の奥まで入り込む。

成人喘息が激増している原因の主因がそれだと思う。

我が家は国道と高速道路に囲まれている。

職場も道路に面している。

逃げ切れない・・・。

四日市喘息という公害があった。

これはアレルギー性ではない喘息の典型。

僕の喘息もアレルギー性ならば長沢オリゴで完治するはず・・・。

肺の奥まで入り込んだ微粒子を気管支から出そうとする身体の反応。

これが喘息だと思う。

無機物に対する身体の反応にステロイドで対応しようとする医師。

どこかの無人島で暮らせば喘息は完全に完治するだろう。

ナノサイズのプラスティックを吸っている僕達。

身体側からは避けられない。

プラスティックを作らない・売らない・買わない・捨てない・・・。

この四原則が実行されない限りはプラゴミはなくならない。

排気ガスも同じ。