70歳からの闘病記

53歳から始まった成人喘息との闘いの記録

鼻血

若い頃の思い出はいつも鼻血で始まる。

嫌な思い出。

中学生になっても治らなかった。

三省堂の英和辞典の1ページに鼻血の一滴が滲んでいたのを覚えている。

高校に入学して野球をやりてたくて野球部に入った。

初めての練習が終わってトイレでオシッコ。

鼻から水が垂れてきた。

手の甲で拭うと、それは血だった。

途端に弱気になって、翌日、退部を申しで出た。

先輩には鼻血のことは言わなかった。

言ってもわかってくれないという諦めだったのだろう。

「なんで、やめるんだ?」

答えることができない自分がいた。

それ以来、卒業までの3年間は完全な「帰宅部」だった。

公立校だったので野球部は弱かったが一度だけ夏の甲子園に出た。

観戦にいった親友は60歳のときに癌で他界した。

高校3年生のとき、朝から鼻血が出たことがあった。

学校を休むことはあまりなかったが、その日に限って学校を休んだ。

夕方のNHKの地方ニュースを観ていて驚いた。

高校が全共闘に封鎖されて、大変なことになっていた。

僕は何にも知らないでニュースで驚いた。

その時の闘争委員長が上記の親友。

何故、あの日に鼻血が出たのか?

その後は成人してからは鼻血は出なくなった。

鼻血はビタミンK2で予防できるらしい。

納豆がいいのだが、大阪では納豆は食べない。

地方の大学に入学して下宿での朝食は納豆がでた。

朝から食べないのは力が出ない。

マヨネーズをかけて食べることもあったが・・・。

大阪では納豆といえば「甘納豆」。

今でもあまり納豆は好きではない。

鼻血の思い出。